4の5善と悪その一

前回まではあるとないについて考えた。

抽象的に考えるということは現実の制約が大変少なく自由だ。

無責任の快感がある。

あるとないよりはいくぶんか身近な善と悪について考えてみようと思い立った。

ややこしいことだ。

さてでは善と悪はどうなのか。いやなになのか。

どちらかが絶対でどちらかが相対なのか。

悪の闇を待たない絶対善はあるのか。

善の照射を要求しない絶対悪はあるのか。

そもそも何をもって善であり悪となすのか。

わからない。

思考停止だ。

どうしよう。

少しでも考えやすくするためためしに具体を使ってみよう。

路傍の石ころに善悪はあるかという問いを立ててみる。

路傍の石ころに善悪はなさそうだ。

一歩進んだ。

その路傍の石ころが通りすがりのクルマのタイヤに弾かれ商店のウインドウを割ると石ころはたぶん悪になる。道が舗装されていればこんなことは起こらなかった。石ころを放置した行政が悪いと言いながら石ころの存在が悪であるとの評価は善に変わることはないと思われる。

同様に草も田畑に生え農家の手間を取らせる雑草という名の悪であり昆虫もアナフィラキシーショックをもたらす害虫という名の悪である。降る雨も洪水で人の命を奪う災害という名の悪でこうなれば身の回りのすべてが悪に他ならない。

そうか!人にかかわった途端に悪は生まれるのか。

路傍の石ころがある種の人に好まれれば貴石という善となり薬効が認められた草は薬という善だ。甘い蜜をもたらす虫も善にほかならない。

そうだ!悪と同様善も人がかかわることにより生まれる。

善と悪は人の判定基準なのではないか。仮説である。